黒い雨 (新潮文庫)

黒い雨 (新潮文庫)

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新潮社
価格: ¥620

黒い雨 (新潮文庫)のレビュー

買いです。
読み始めて程なく出てくる「私はいつか写真で見たシンガポールの石油タンクの燃える光景を思い出した。日本軍がシンガポールを陥落させた直後に写した写真だが、こんなことをしてもいいのだろうかと疑いを持ったほど恐ろしい光景であった。」という文章が、この作品の基底を為しているように思いました。ありきたりの感想ですが、戦争は個を踏みにじるとの思いを新たにしました。
なぜ、かの今村昌平が、オノレ流の「黒い雨」を中止せざるを得なかったのかがわかる
井伏鱒二のこの作品は庶民の生活を淡々と描いている。1945年8月6日にアメリカがヒロシマに投下した原爆により、庶民は殺されたか、緩慢に殺されたか、運良く長く生き残ったかであった。そして被爆者として内部でおこる日本人内部の哀しい日常を描いている。
声高に叫ぶこともない。
あの時からのヒロシマ庶民の日常が淡々と描かれている。
この作品を映画化しようとした今村は当時63歳。オノレの「黒い雨」を創り上げんとしていたようである。いや、悶々としていた。しかし製作開始。100日間、岡山の田舎にこもり撮影された。今村流はラストは、生き残った姪を四国遍路に一人で行く、そして死ぬという代物であった。しかも、カラー。
一度 作ったが 再度 スタッフは集められた。ラストの四国遍路は切り捨てられた。そして、原作者の井伏鱒二の作品に忠実に終わらせた。今村が井伏鱒二の 静かな庶民の日常をえがききろうとしたその思想に敗北した瞬間であった。諸氏は、あらためて、今村昌平氏の作品をDVDで観られることを願う。
それにしても井伏鱒二は偉大である。今村は普遍的作品として残るであろう井伏の作品に、オノレの軽薄さを感じたのであろう。
文学の力
圧倒される作品である。小説ではあるが、限りなくドキュメンタリーに近い小説である。それまでの井伏文学に慣れている読者には、原子爆弾投下というあまりにも悲惨な現実に井伏がただ翻弄され圧倒されてほとばしるように原稿用紙に書きなぐっている姿が目に浮かぶかもしれない。読んでいるほうも、次から次から現われる悲劇にただ圧倒されるしかない。この作品は英訳され、米国でも出版されている。一人でも多くのアメリカ人に読んで欲しいと思う。
風化してはいけない真実
私の故郷は広島県尾道市で広島市内からは70Km近く離れた場所です。それでも祖父母から8月6日の朝、西の空に黒い雲が立ち上っていたのが見えたという話を聞いたことがあります。また、広島県では他県に比べて原爆教育が盛んで、逆にそれが小学生だった私のトラウマとなり「原爆」という言葉にアレルギーがあったのも事実です。そのため井伏鱒二の本書は今まで手にとって読むことを避けていたのですが、今回本書を読んで、なぜもう少し早く読まなかったのだろうと反省しました。本書に書かれているのは反戦でも反核でもありません。戦争を決断した当時の政府への反感でもなく、原爆を投下した米国に対するバッシングでもありません。原爆の悲劇を強調し売り物にするのではなくその時起きた真実を日記の形で淡々と記しています。だかろこそこの悲劇を二度と繰り返してはならないと読み終えた後に強く感じることができたのかもしれません。すでに戦後60年以上が経過し、若い人たちのなかには8月6日や8月9日どころか8月15日ですらどのような日かも知らない人が多いといいます。このままこの真実を風化させてはいけません。前述したように本書では真実が述べられているだけでそれに対する著者の意見や見解は織り込まれていません。だからこそこのような本を小学生や中学生に積極的に読ませ、彼らがそこから何を感じとるかといった教育は非常に有効的ではないかと思われます。
後世に残さなければならない作品
国の歌に国歌、国の鳥に国鳥、国のスポーツに国技などがあるのと同様に、もし国の本、国書というものを選定するのなら、僕は迷わずに『黒い雨』を推したい。
 戦争、原爆投下という未曽有の事態を、怨みつらみを述べるだの文章ではなく、文学作品として成立させている。戦争に関しては、様々な意見がある。戦争を推し進めた政府が悪い。いや、戦争を起こすように追い込んだアメリカが悪い。対立する意見が出ることもしばしばだ。しかし、戦争があり、原子爆弾が落とされたということは、紛れもない事実である。『黒い雨』はその事実を、小説というフィルターを通して世に放っている。そこから何を感ずるかは、人それぞれでいい。ただ、原子爆弾というものが一体何をもたらしたのか。その事実さえ認識できれば。そして、その事実を風化させないためにも、『黒い雨』が広く読まれることを切に願う。